デス・オーバチュア
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いつのまにか、三人の人物がこの部屋に姿を現していた。 彼女達には初めからその場に居たように、現れた形跡というものが無い。 「……なんだ、てめえら?」 「保護者……養母(ママ)かしら?」 「なあに、ただの通行人だ、気にするな」 「見物人よ、お気になさらずに」 一人目は鴉のような漆黒の翼を背に持つ、黒い無数の羽のようなドレスを纏った少女だ。 黄色い美しい髪を左右にそれぞれ大きな縦ロールにしている……例えるならツインテールのドリル(螺旋)版といったところだろうか。 彼女は、タナトスを抱き抱えていた。 おそらく、ダルク・ハーケンのエクリプスエクスキュージョンを受けたタナトスが地面に激突する直前に受け止めたのだろう。 二人目は、背に赤い十字架の描かれた白い外套を羽織った黒い甲冑の騎士だ。 腰には双剣を下げ、胸甲には深いバツの字の亀裂が刻まれている。 三人目はどこからどうみても年若い修道女(シスター)だった。 左手には分厚く古そうな聖書のような書を抱えていた。 「ふう……」 修道女は壁際に座り込むと、頭に被っていた布を取る。 「ああ、やっぱりメディアちゃんの返り血で汚れてたか……ちゃんと落ちるかしら?」 見事な金髪の姫カット……綺麗に前髪が切り揃えられた、長髪が姿を見せた。 「……本当にただ見物するつもりみてえだな……見せ物になってやるつもりはねえけどよ……」 マイペース過ぎる修道女には見切りをつけたのか、ダルク・ハーケンは視線を黒い甲冑の騎士に移した。 黒い騎士もまた値踏みするようにダルク・ハーケンを見ていたが、不意に微笑を浮かべる。 「なるほど悪くはない……だが、それだけだ」 黒い騎士は酷薄な微笑を浮かべたまま、あっさりと背中を向けると、部屋の外へと歩き出した。 「てめえ、どこへ行く?」 「アンタと殺し合うのも面白そうだが、この奥にはもっと殺し甲斐がありそうなのが居る……まあ、どうしても遊んで欲しいなら、ちょっとだけつきあってもいいが……せっかく拾った命だ、大事にするといい」 黒い騎士は話している間も足を止めることなく、どんどん歩み去っていく。 「ああん!? なんだと……」 「うふふっ、災禍の騎士と青雷(せいらい)の魔大公(またいこう)の勝負か……それも面白そうね」 修道女は聖書を片手で開き、家で読書でもする時のようにまったりとくつろぎきっていた。 「おお、ムカつく格好の女! てめえ、なんでその呼び名を……」 今、修道女が口にした呼び名は、人間界、人間にまで伝わっている異名ではない。 悪魔界でも極一部の者しか口にしないダルク・ハーケンの呼び方だ。 「失礼、奈落の暴君、黒の大司教の方が良かったかしら?」 修道女は視線は聖書に向けたまま、こちらを見ようともせず、応じる。 「てめえ、いったい……?」 「どうでもいいけど、災禍の騎士ならもう行っちゃったわよ?」 黒い鴉の女の声に、視線を修道女から元の位置に戻すと、確かにサウザンドの姿は完全に消え去っていた。 「まあ、心配しなくても、あなたに相応しい相手ならもうすぐ……ほら、来たわよ」 黒い鴉の女は天井を指差す。 次の瞬間、轟音と共に天井が砕け散り、巨大な十字架が降臨した。 「ダルク・ハーケンは強いぞ。あれの強さは今のオレ達となら大差がない」 ゼノンは湖面の映像を見ながら、呟いた。 「そうね、私達は地上に来るために、魔力の大半を魔界に置いてきているものね」 フィノーラがゼノンの呟きに答える。 いくら冥界を通っての結界を避けての移動とはいえ、魔王という巨大すぎる魔の力の塊が地上に出現するのは、地上に存在し続けるのは、並大抵なことではなかった。 地上侵入時の負荷、何より巨大すぎる魔の存在を自らの内から排斥しようとする世界(地上)の抵抗力が半端ではない。 ゆえに大半の魔力は魔界へと残し、高位魔族程度の魔属存在に身を落とし、地上への侵入時の負荷、地上に存在し続けることへの負荷を軽減しているのた。 つまり、今の彼女達はエナジーの質こそ変わらないが、量は激減しているのである。 「いや、エナジーの絶対量が例え魔界での状態でも強敵であることに違いはない。なぜなら、今のオレ達は戦闘力が落ちているというより、あくまでスタミナが無いだけの話だからな」 持ってきたエナジーが全体の数万〜数億分の一しかないので、魔界でなら数千〜数万年戦い続けることができるのに、地上では数日〜数年ぐらいしか戦い続けることができないのだ。 もっとも、この計算は物凄くアバウトであり、桁もとんでもなさ過ぎて、人間にはピンと来ないだろう。 もう少し単純に言うなら、燃料をちょっとしか入れていないので、全力で闘うとすぐにエナジーが尽きてしまう状態とでも言ったところだ。 「それは買いかぶりすぎじゃないの? 確かに最上位の悪魔らしいけど……あんな下衆がたいしたことあるようには見えないわ……」 「勉強が足りないな、お前は。ダルク・ハーケンとは、悪魔界で唯一、悪魔王エリカ・サタネルに膝を屈しない悪魔だ。その座を本気で奪おうとすら考えているとんでもない野心家だよ。まあ、奴が欲しているのは本当は権威ではなく、純粋な力だがな……」 「やけに詳しいわね、悪魔界のことに……」 「伊達にお前の倍以上生きてはいない」 「倍? サバ読みしてない? 確か、あなたは私の三倍、いや、四倍、五倍……うっ」 フィノーラの首筋にいきなり剣が突きつけられる。 「オレの歳などどうでもいい……それから、魔王で一番の年寄りはオレではなくセルだ、解ったな?」 ゼノンは、フィノーラが頷くのを確認すると、剣をゆっくりと鞘に収めた。 かなりフィノーラとはかなり離れた場所に立っていたはずなのに、ゼノンは足音すらなく一瞬で剣の届く間合いに詰めている。 「やっぱ、年季が違うわね……」 存在として魔王と魔王が同格といっても、明らかに自分とゼノンの間には実力の開きがあることをフィノーラは改めて実感した。 「……それは私が年増と……?」 「違う違う! 実力の話よ! 今、その気なら私の首を刎ねられたでしょう……簡単に……」 フィノーラは慌ててゼノンの誤解を解こうとする。 「ああ、そのことか。あまり気にする必要はない。お前が弱いのではない、あくまで戦闘スタイルの違い、相性の問題だ。お前のエナジーは質も量もオレと大差ない、ただ単にお前は術師、特殊能力系の強さ、オレのは単純な武力の強さ……その違いだ」 「…………」 ゼノンは慰めているつもりなのかもしれないが、フィノーラには納得できるものではなかった。 ゼノンは『速さ』で、フィノーラに能力を使う間を与えずに斬り捨てることができる。 また、力ずくで、フィノーラの能力を消し飛ばすこともできた。 それはつまり、明らかにゼノンの方が強いということにならないか? エナジーの量と質こそ互角でも、ゼノンにはフィノーラにはない技術と経験があった。 それに、術や特種能力というのは上手く極まれば無敵だが、相手に効かなかったり、予め対策を練られると途端に脆さを露呈する。 フィノーラには、ゼノンの剣のみの力と速さと技だけの正当派な強さが羨ましかった。 「それはともかく、見てみろ、懐かしい顔だ」 ゼノンは湖面の映像に視線を向けた。 そこに映っているのは、巨大な十字架と共に天から降臨した幼い修道女。 ゼノンもフィノーラもよく知っている人物だった。 「電光の覇王ランチェスタ……あの人(母)の妹……の成れの果て……」 フィノーラは雪、母ネージュは氷、母の妹ランチェスタは雷、母の旧友セリュールは風といった具合に、術師、特殊能力系の魔王は一つの『自然現象』を司っていることが多い。 その能力の性質上、大抵は遠距離戦闘型だが……ランチェスタだけは例外だった。 彼女は、『拳』という現象概念も併せ持っているに等しい。 彼女の雷は術は術でも、『体術』だった。 放つだけではなく、拳に込める。 まるで闘気のように雷を体内に蓄えたり、練り上げたり、爆発的に高めることが彼女はできた。 それゆえに、彼女は術師でありながら、超接近戦型……格闘型の魔族なのである。 その圧倒的な暴力によって彼女は限りなく魔王に等しい高位魔族、電光の覇王として恐れられていた。 もし、魔王の座に空きがあれば、間違いなく彼女がその地位についただろう。 彼女の実力と存在感は魔族の誰もが認めていた。 だが、彼女の運命は一変する。 フィノーラにとって、ランチェスタは幼い頃に数度会った……はずといった程度の印象しかなかった。 なぜなら、ランチェスタはルーファスによって至高天のパーツとして封印されてしまったからである。 ルーファスがランチェスタを封印した理由として考えられる理由は三つ程あった。 一つ目はランチェスタと単純に『喧嘩』して怒らせたから。 実際に見たことはなかったが、ランチェスタは、ゼノン以上に何度もルーファスと戦い、その余波で魔界の地形さえ変えた……『喧嘩友達』のような存在だったらしかった。 二つ目は、自分が魔界を去った後の子供の面倒を押しつけるため。 特に、自分の子供かどうかも定かでないフィノーラと違い、ルーファスの唯一人の嫡子であるオッドアイの保護者兼パートナーになって欲しかったのかもしれなかった。 そう、自分は庶子どころか、ルーファスの子かどうかさえ解らないのである。 オッドアイのように一目でルーファスの血を引いていると解る容姿も能力もしていないし、ルーファスは煌やネージュを束縛しなかったので、他の血が混じる可能性はいくらでもあった。 煌もネージュもあくまで愛人のようなもので妻ではない、ルーファスには二人を束縛しようと思う程の執着すら欠片もなかったのである。 そういった意味では、嫡子も庶子もないのだが、オッドアイはその外見と能力ゆえに、ルーファスの後継者、皇子のように魔族達から崇められていた。 対して、自分はあくまでフィーノラの娘……分身なのである。 名残雪といってもいいかもしれない……雪女……魔界の雪の精霊は本来、一人でも子を産むことができるのだ。 ある意味、これはリフレッシュ行為……『生まれ直す』という行為なのである。 長く生きた雪の精霊は、古い肉体、古い自我を捨て、自らの子として新たな命にその存在を転化させるのだ。 つまり、子が産まれた時点で、古い自我と体……母は消滅する。 自らの知識、能力、記憶、そして想いの一部を託して、自らを抹消するのだ。 これは、一人で子を宿したのではなく、他者と交わってできた子であっても変わらない。 生まれてくる子はあくまで母の複製……いや、作り直しの新型であり、引き継ぐ性質……容姿や能力も母方のものだけだ。 だから、外見や能力から父親を推測することはできない。 でも、フィノーラはそれで良かった。 ルーファスには娘としてではなく、女として愛して欲しかったのだから……。 彼はある意味ではその願いを叶えてくれた。 母と同じように自分の『物』として抱いてくれたのである。 例え、そこに愛は一欠片も無くても……母と同じように彼の愛人、恋人といった地位につけたのだからそれで満足だった。 いや、満足だと思い込もうとしていたのである。 だって、それ以上を……愛を望んではいけないのだ。 彼には存在しない感情なのだから……。 彼には愛や恋といった感情はないのだ、理解することすらできないのだ、そう思って自分を納得させてきたのに……。 「…………」 フィノーラは湖面に映る、気を失っている黒衣の少女を睨みつけた。 逆恨み、八つ当たり、自分がどんなに惨めで愚かなのは解っている……それでもこの少女の存在を許すことが出来ない。 ああ、本当に自分は……『女』とは……ゼノンの言うとおり愚かで業の深い生き物だ。 『雇った外道に恋敵を汚させようなんて女として最低よね。ちゃんと自分の手を汚したらどう? 愚かな白き魔王さん?』 湖面に映っていた漆黒の鴉が、まるでこちら側が見えているかのように、嘲笑う笑みを浮かべて話しかけてくる。 「くっ!」 『まあ、ある意味嫌らしいまでに女らしいかもね? でも、そういった女の執念や執着って殿方は引くのよね……ぶっちゃけ、うざくて、鬱陶しい?』 「ぐぅぅ……言いたい放題……」 確か、あの漆黒の鴉は、ルーファスの足止めのために雇った真紅の鴉の妹だったはずだ。 漆黒の鴉の言葉は、フィノーラが突かれたくないところだけを、的確に突いてくる。 流石、死肉を啄む鴉だ、突っつくのは恐ろしいまでに上手かった。 『私はこんなに貴方を愛しています、これだけ貴方に尽くしました、貴方の望むことなら何でもします……だから、私を愛してください? ああ〜、みっともない。愛するだけで満足できない、愛されないと耐えられないなら、その恋は諦めるのね。相思相愛がいいなら、自分を愛してくれる者を愛する努力でもすれば? もっとも、そんな妥協をしてさえ、相手の愛がなくなったりしたら最悪だけどね……きゃははははははははっ!』 「うるさい! 囀るな、耳障りな鴉風情がっ!」 フィノーラが怒鳴りつけると同時に、湖が全て爆発するように消し飛ぶ。 「……フィノーラ様……」 オーバラインが心配げに主人に声をかけた。 フィノーラは無数の小さな雪の結晶を周囲に舞い散らせながら、先程まで湖だった穴から浮かび上がる。 雪は先程まで湖の水だったモノだ。 爆発的に凍らせて消し飛ばしたという、言葉にすると矛盾しているように聞こえることが、先程フィノーラがやった行為である。 「鴉の言うとおりだ。綺麗にさっぱりと勝負をつけてこい」 「…………」 「お前は全てが半端だ。半端に甘さや優しさや誇りがあるから、逆にあの少女を自分の手で処分することもできない。頭が良いのも理性的なのも考え物だ……嫉妬のままに、自分の男を取るなと怒り狂った方がまだ潔いぞ」 「…………解ったわよ」 「解った?」 「自分の手で殺ってやればいいんでしょう!? 嫉妬のままにっ! 力の差を考えたらどうしたって一方的な嬲りになるから……それが嫌で他人に任せたのに、あそこまで言われるなんて……」 「フッ、キレたか? そう、それでいい。物事はシンプルであるべきだ」 ゼノンの微笑はなぜか嬉しげに見えた。 「小娘が……鴉と共に淡雪のごとく消え去るがいい」 フィノーラは右手に三つ又の白鞭を出現させると、大地に叩きつける。 たったそれだけで、大地が凍りつき、同時に深い三つのクレバス(亀裂)が走った。 「ああ、そうだ、妥協なんてくだらない。思うままに生きればいい。邪魔なら殺せばいい、何もかも、視界を遮る全ての者をな……」 部屋の入り口から男の声。 「生者は全てを貪り、死者は全てを失う、所詮、この世はそれが全てだ」 入り口から姿を見せたのは、赤い十字の白い外套と黒い甲冑を身に纏った災禍の騎士サウザンドだった。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |